高橋秀樹著『日本中世の家と親族』(吉川弘文館 1996年7月10日発行)
※現在、版元品切れ
目次
序 論
第1部 中世貴族の「家」と親族
第1章 院政期貴族の祖先祭祀空間 ―藤原宗忠・平信範を中心に―
第2章 祖先祭祀に見る一門と「家」 ―勧修寺流藤原氏を例として―
第3章 貴族層における中世的「家」の成立と展開
第2部 平安貴族の養子と「家」
第1章 平安貴族社会の中の養子
第2章 平安貴族社会における養女について
第3部 在地領主の「家」と親族
第1章 在地領主層における中世的「家」の成立と展開
第2章 鎌倉期・在地領主層の婚姻と親族 ―聟の位置づけをめぐって―
総論 ―本書のまとめ―
要旨
日本の中世には、父系出自集団としての氏の分節で同じ傍系継承原理をもったままの「家」と、中世に新たに成立した嫡継承原理をもった「家」とが併存していた。両者は中世を通じて併存しており、始祖の祖先祭祀を紐帯とする氏・一門という親族集団の分化・解体の中から中世的な「家」が成立してきたのではない。嫡子によって継承される中世的な「家」は貴族層・在地領主層ともに12世紀前半に成立した。貴族層の場合は、家格の成立にともなう政治的地位の父子継承(「家風」である官職への就任)と政務の儀式化傾向を背景に形成された家産としての家記・家文書、物具の継承の中で成立し、在地領主層の場合は、国衙や荘園公領制のもとで進行した「職」の体系化を背景に「職」の継承の中で成立した。この「家」の成立過程は養子制度における「家のための養子」の成立からも裏付けられる。
14世紀に「家」の嫡継承に対する希求が強まり、近親間の継承にも嫡出親子関係が擬制されるようになって「家」の嫡継承が確立する。また始祖建立の寺院とそこでの祭祀を精神的紐帯とする氏的継承原理をもった「家」が生み出されることもなくなった。自宅の祭祀空間に御影や位牌を置き歴代の祖先を直系的に遡って祀る形態の祖先祭祀が成立して、祖先祭祀と嫡継承される「家」との間に表裏一体的な関係が生じるのも14世紀から15世紀にかけてのことである。14世紀の嫡継承観念の強化は一方で中世的な「家」に大きな質的変化をもたらし、庶子による「家」の創設・分立を否定する嫡子単独相続への移行を結果した。このように中世的な「家」は12世紀・14世紀という二段階の画期を経て成立する。12世紀に嫡継承される組織体・経営体として成立した「家」が、家名・祖先祭祀などの諸要素を加え、あるいは家産・家業などを明瞭にし、嫡継承の方向性を嫡子単独相続へと変質させて後世的な「家」の姿をほぼ整えるのが14世紀であった。また中世的な「家」は上級階層から在地へと浸透していったのではなく、12世紀・14世紀の大きな社会的変革の中で貴族層・在地領主層それぞれが国家や権門とのかかわりを通じて成立させたものである。
こうした「家」を単位とする鎌倉期の在地領主の親族は、系譜的連続性を基軸として祖先中心的に父系血縁者及び擬制血縁者が結集した同族集団である「一族」と、父系血縁者・母系血縁者・姻族を含む自己中心的な親族関係である「親類」との二重構造をとっていた。日常的な相互援助を機能とする親類の中心となる舅の聟との関係は、一方が一方を包摂するようなものではなく、対等な連帯関係であった。
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