最近の書棚から 2004年7月〜12月


築島裕編『大東急記念文庫善本叢刊 中古中世篇 類書II』(汲古書院、2004年3月、\20000)

 2004年7月購入。「恐るべし、大東急 五島慶太」というか、やはりあの時代のコレクターはすごかったんだなあ、ということを実感させられる蔵書群ですね。これまで古辞書叢刊やら、いろいろな形で影印本が出されていたものもありますが、今では入手困難な本も多いですから、この叢書の刊行は朗報といえるでしょう。注目は、古辞書類や古文書、そして延慶本平家物語かな。いくつかはおさえておきたいと思っています。手鑑や和歌までは手に負えませんが・・・。きっと完結までは、かなり時間がかかるでしょう。
 さて、この類書IIには、中世の日用事典である『拾芥抄』や、和漢の書籍から言葉を集めた『香字抄』『縮芥抄』『金傍抄』『玉函抄』『金句抄』という本が収められています。いずれも中世の古写本。安田文庫、久原文庫、フランク・ホーレー、川瀬一馬など著名なコレクターの手を経て大東急記念文庫に入ったことが蔵書印からわかります。


詫間直樹・高田義人編『陰陽道関係史料』(汲古書院、2001年7月、\9500)


 2004年7月購入。『吾妻鏡』の講座の予習などをしていて、一番よく調べるのは、陰陽道関係の事項です。理由はもちろんその手の知識がないから。みなさんは、陰陽道関係のことって、どうやって調べます? 私の場合、まずは『日本国語大辞典』(小学館)を引き、次に日の吉凶に関することなら内田正男編『暦と時の事典』(雄山閣)、方角の吉凶のことならベルナール・フランク『方忌みと方違え』(岩波書店)を見ます。それでもよくわからないと、中村璋八『日本陰陽道書の研究』(汲古書院)の索引や『古事類苑』方技部を当たってみるというコースをとります。なまじ陰陽道書に書いてあったりすると、かえって理解するのが難しかったりして。
 さて、宮内庁書陵部と東京大学史料編纂所にある陰陽道関係の書物のいくつかを翻刻した史料集が出ました。収められているのは伏見宮本『陰陽博士安倍孝重勘進記』、土御門家本『陰陽道旧記抄』、史料編纂所蔵『陰陽吉凶抄』、壬生家本『医陰系図』で、最後に「書陵部所蔵土御門家旧蔵資料目録」が付されています。巻末には事項索引・人名索引もあるので助かります。昨今の陰陽師ブームで「とんでも本」が多い中、林淳・小池淳一編『陰陽道の講義』(嵯峨野書院)などのまっとうな本が刊行されたのはよいことです。あとは村山修一編『陰陽道基礎史料集成』(東京美術)あたりが再刊されれば言うことなし。


紀の川流域荘園詳細分布調査委員会編『紀伊国名手荘・静川荘地域調査』(中央印刷、2004年3月、\2000)


 2004年7月購入。「紀の川流域荘園詳細分布調査概要報告書」の3冊目です。帝塚山大学の小山靖憲氏のもと、和歌山大学の海津一朗氏、大阪市立大学の仁木宏氏、和歌山県立博物館の高木徳郎氏らと、彼らが動員した大学院生を実働部隊にして作り上げられた現況調査報告書です。大山荘や鵤荘などの調査を経て、荘園の現況調査報告書のスタイルも大体定番の形ができあがったという感じですね。既刊の『紀伊国隅田荘現況調査』『高野升をつくらせた荘園』も各\2000で、まだ在庫があるようです。


彦由一太監修『百錬抄人名総索引』(政治経済史学会、1969年7月)


 2004年8月購入。以前、G短大でゼミを持っていた時、前半のテキストに国史大系本の『百錬抄』を使っていました。治承3年のクーデタから読み始めましたが、記事もそこそこバラエティに富んでいて、初めて変体漢文(記録体)を読もうとする学生には手頃なテキストでした。4年くらい前から妻と一緒に後三条天皇時代からざっと読み始め、今はようやく順徳のあたりまできました。この『百錬抄人名総索引』、学生時代に研究室の蔵本をコピーしたものを持っていたので、時折引いてみるのですが、「えっ、何でこの人物の氏が未詳なの? ちょっと調べりゃわかるじゃん」ということがしばしば。「おいおい、この二人は別人だろ」「落ちてるぞ〜」ということも珍しくありません。何せ35年も前の本ですから、今のように便利な補任類もなかったし、仕方がないと思う所もありますが・・・。この本を使っている方も少なくないはず。気をつけた方がいいですよ。「これじゃあ、いかんよなぁ」とつくづく感じ、以前、学習院大学吉記輪読会で出した『吉記人名索引』のように、人物の出自や比定の根拠を注記した形で、そのうち『百錬抄』の人名索引を作ろうと思っています。そんなこともあって、『百錬抄人名総索引』のオリジナルを持っていないのも失礼だろうと、ようやく見付けたので購入した次第です。ただし人名索引の作成は、しばらく先の話です。その前に『吉記人名索引』の2を出さないといけませんね。一応、仮原稿は出来ていますので、来年には何とか「暫定版」という形で出します。そうしないと、3年後に刊行予定の『新訂吉記』索引解題編との折り合いが付かなくなってしまいますので。


中野幡能『八幡信仰史の研究(増補版)』(吉川弘文館、1985年5月)


 2004年8月購入。今や品切れ本としてかなりの高値になってしまいました。この増補版は定価の5倍くらいの値が付くことも珍しくありません。とにかく八幡信仰、特に宇佐神宮に関する基本文献。その後刊行された同氏の『八幡信仰』(塙新書)『宇佐宮』(吉川弘文館)の前提になった本です。同氏は『八幡信仰』(雄山閣)や『八幡信仰事典』(戎光祥出版)の編者でもありますから、他の追従を許さない第一人者といった感があります。もちろん、そうした中にあって飯沼賢司氏らによる新しい研究も生まれています。しかし、宇佐の研究は社領の総体的な研究や個別研究あり、荘園の現地調査ありと、ものすごい重厚さですよね。それに比べると史料に恵まれているはずの石清水八幡宮の研究はどうも・・・。八幡研究のもうひとつの代表が宮地直一『八幡宮の研究』(理想社)ですが、これは高くてちょっと手が出ない。


横井金男『北畠親房文書輯考』(大日本百科全書刊行会、1942年7月)


 2004年8月購入。古書展で\700。時代の産物でしょうか。こんな本があったのですね。「本書は北畠親房にかゝる古文書を年代順に配列して、各通の歴史的背景、内容、意義等の概要を附記したものである」と凡例にある通りの内容です。解説中の関連史料を含め、かなりの点数の史料が掲げられていますので、史料集として使えそうかなと購入しました。自序には「関城書及びその他の多くの書状は、この正統記と表裏を為す彼の国体擁護運動そのものであり」とありますが、中身はまだ読んでいませんので、どの程度そうした色合いが出ているのかは不明。解説の「意義」はたぶん今は通用しないことも多いでしょう。著者は古今伝授の研究で知られる人。まったくの変な本ではなさそうです。


奥野高広『戦国時代の宮廷生活』(続群書類従完成会、2003年?、\6000)


 2004年8月購入。『皇室御経済史の研究』の著者奥野氏の遺著です。90歳を過ぎて完成されたというのですから、驚きです。目次は、
 第1編 公生活(第1章皇室、第2章皇居、第3章装束、第4章年中行事、第5章帝王学、第6章経済)
 第2編 私生活(第1章宮女、第2章日常生活、第3章飲食物、第4章教養と娯楽)
 第3編 宗教・学芸生活(第1章思想・宗教、第2章漢文学・儒学、第3章文芸、第4章美術)
となっており、関連史料の年次・事項・出典が一覧表になった「宸翰・勅額・勅願寺等別表」「文芸別表」「美術別表」が付されています。必ずしも網羅的ではなさそうですが、ちょっとした検索に使えそうです。
 私の本には奥付がないのですが、これってやっぱり落丁でしょうか。上の発行年を「2003年?」としたのもそのためです。


大槻文彦『言海』(ちくま学芸文庫、筑摩書房、2004年4月、\2200)


 2004年9月購入。明治時代の辞書が文庫本になりました。1349ページという恐ろしい厚さです。うちにある文庫本の中ではダントツの厚さ。普通の文庫本に比べると、背綴じの糊もたっぷり使われています。「この文庫がすごい」にランキングされそうですね。字が小さくてかなり見難いのですが、もともとこの大きさの「小形」版があり(大形・中形・小形が平行して刊行されていた)、そのままの活字の大きさで文庫化したということです。「殺害(さつがい)」の中世読みは「せつがい」ですが、『言海』でも「せつかい」で採録されていました。武藤康史氏による解説も80ページという充実ぶりです。そういえば、近年、大槻文彦は時枝誠記らとともに、言語政策を通じた国民国家形成の研究で注目されています。


太田博太郎・西和夫・藤井恵介編『太田博太郎と語る 日本建築の歴史と魅力』(彰国社、1996年7月、\2680)


 2004年9月購入。建築史の第一人者を囲む対談(座談)集です。顔ぶれは、編者のほかに鈴木嘉吉・山岸常人・網野善彦・大河直躬氏など豪華な顔ぶれ。古代から近世の建築について語っています。どうしても古代・中世は寺院建築が中心になってしまうのは、仕方のない所ですが、もう少し寝殿造のことを話してもらいたかった。中世部分は網野氏が加わっていることもあって、職人や勧進の話で展開していきます。それはそれで、なかなか面白そう。


魚住和晃『現代筆跡学序論』(文春新書、2001年1月、\690)


 2004年9月購入。タイトルからして、警察の科学捜査研究所あたりの人が脅迫状か何かの話を書いているのかと思いきや、第1章はいきなり「大石内蔵助の書状」。その後も、唐代・北魏とか、王義之と小野道風の筆跡比較とか、高野切の話とか。どこが「現代筆跡学」なんじゃいという内容で、ちょっと嬉しくなります。「現代学生筆跡気質」なんていう章をはさんで、話はまた「古典筆跡の鑑定」へ。まあ「序論」らしいからと、妙な納得をしてみたりして。ちなみに著者は神戸大学大学院教授の肩書きを持つ書家だそうです。


錦仁・小川豊生・伊藤聡編『「偽書」の生成』(森話社、2003年11月、\6800)


 2004年9月購入。その昔、「偽書」というと、「超古代史」とか、「謎の○○文書」「キリストは青森にいた」というような、うさん臭い世界のものでしたが、昨今は事情が変わってきました。本物か偽物かという議論ではなくて、なぜ「偽物」が造られたのか、そうした歴史的な必然性や背景、精神性みたいなものに関心がもたれるようになってきました。その先駆的な研究は、網野善彦らによる鋳物師文書や「はかりの本地」など職人・商人関係の偽文書の研究になるでしょうか。もう一方には、聖徳太子の『未来記』や中世日本紀などの文学系の研究もありますね。そうした中、2年前に佐藤弘夫『偽書の精神史』(講談社選書メチエ)が出たことで、中世の「偽書」が一気にメジャーな存在になってきました。昨年この本が出され、今年は『日本古典偽書叢刊』全3巻(現代思潮社)の刊行が始まり(既刊2冊)、『偽文書学入門』(柏書房)なる本も出版されました。叢刊は朝日新聞の書評(2004年4月25日朝刊)や日本経済新聞の文化欄(2004年4月24日朝刊)にも取り上げられるという破格の待遇。安倍晴明関連の第2巻を最初に持ってきたのが成功の秘訣でしょう。偽書って、たしかに面白そうな世界ですね。私は『大江広元日記』に少し関心をもっています。
 もちろん『武功夜話』のような、本物・偽物論争も未だに盛んです。


永井義憲・清水宥聖編『安居院唱導集』上巻(貴重古典叢刊6、角川書店、1972年3月)


 2004年10月購入。以前、古典文庫の『言泉集』などを紹介しましたが、それら安居院流の唱導を集めた基本文献です。『言泉集』『転法輪鈔』『鳳光抄』『讃仏乗鈔』が翻刻されています。「後記」によると、同じく金沢文庫現蔵のもので続集を刊行し、他の京都・奈良・比叡山・高野山の諸寺に散在するものを第3集としたかったようです。しかし、これらは残念ながら未刊。
 4月に金沢文庫で開かれた説話文学会の例会というのに参加したら、話の中にこの本のことがやたらと出てくるものですから、やっぱり持っていた方がいいかな、などと思ってしまったのでした。私自身、唱導や仏教説話の研究をするつもりはないのですが、昨年以来、永井氏の本が増えています。長谷寺蔵天正15年(1587)書写本ともう一本の長谷寺蔵本の影印本である『長谷寺験記』(新典社善本叢書、1978年10月)を8月に購入し、最新刊の『日本仏教説話研究』(和泉書院、2004年5月)も妻が購入しました。


平林文雄『成尋 参天台五台山記 ―研究に際しての文献処理の方法―』(古典書院、1978年)


 2004年10月購入。同時に購入した平林文雄『成尋阿闍梨母集』(笠間書院、1977年6月)とほぼ同じ装訂の、大学テキスト用とおぼしき150頁あまりの本(並製本)です。ところが、奥付がありません。表紙には「古典書院刊」と入っていますが、裏表紙には「笠間書院」のロゴが入っているという不思議な本です。1978年刊行としたのは序に記された日付によりました。版面は、何か旧版を複製したような雰囲気もあります。内容は、まず「成尋周辺歌人の作品」と題するものが15頁ほどあって、「研究篇」として、
 第1章 成尋阿闍梨の家系    第2章 成尋阿闍梨の事績    第3章 参天台五台山記の伝本
 第4章 参天台五台山記研究史    第5章 参天台五台山記の梗概    第6章 成尋阿闍梨母集との関連
 第7章 参天台五台山記の意義
という構成をとっています。同じ年に同氏の『参天台五台山記校本並に研究』(風間書房)が出ていますが、両者を比較していないのでその関係については未詳です。インターネットで「古典書院」を検索しても、それらしい結果は出てきませんでした。教科書用の特注なのか? ちょっと不思議な本に出逢ったのでご紹介まで。


尾上陽介編『明月記 徳大寺家本』一(ゆまに書房、2004年10月、\35000)


 2004年10月購入。悩んだ挙げ句、買ってしまいました。でも本当に必要だったのかと・・・。これって「後悔」? これがあと7冊続くわけでしょ、隔月刊で。総額は〜っ、恐ろしい。でも品切れになったら、たぶんとてつもない値段が付いて、きっと買えないし・・・。たしか同じことを『訓注明月記』の時も考えた記憶が甦ってきました。しかし、『明月記』嫌い、定家嫌いと言いながら、一体いくらつぎ込んだんでしょう。定家に貢いでどうする!!
 さて、第一印象は「なんじゃ、この装訂は?」 輸送用の段ボール箱を開けると、赤紫の布貼りの箱が出てきます。箱の真ん中には不思議な○が金で入っています。背表紙には金文字が入っているのですが、これが小さくてよく見えない。パラフィン紙に包まれた本は一見すると黄色い表紙のようなのですが、紙を取り除くと、何とテカテカの金色の絹?表紙。背文字は黒。いやはや何とも。民家よりはお寺、本棚よりは仏壇の方が似合うのではないかという造りです。金文字が見難いので文字が見やすい段ボール製の箱に入れたまま並べています。装訂は尾上氏の与り知らないところで決められたとのことでしたので、その点は誤解なきように。
 肝心の影印は黒・朱の2色刷りですが、袋綴じ本の綴じ(いわゆるノド)の部分に朱が出ていたり、墨の部分にも朱で影が入ってしまっていたりと、技術的な問題がありそうです。その点は天理時報社が製版を担当している尊経閣善本影印集成(八木書店)の2色刷の方がダントツで勝っています。たぶん方式が違うんでしょうね。
 冷泉家時雨亭文庫叢書の自筆本『明月記』(朝日新聞社)の補助的な役割であっても、活躍してくれる日が来るでしょう。せっかく買ったのだから、いずれこれを使って何か書かないといけませんね。


田中教忠『蓮華王院三十三間御堂考』全3冊(田中忠三郎、1932年3月)


 2004年10月購入。これで田中教忠の著作が揃いました。他の著作が教忠のクセのある墨書を写真製版しているのに対して、これはおなじ和本の装訂ながら、謄写版になっています。内容は関連史料を古記録・地誌などの諸書から集めたもので、「得長寿院旧地考」という副題がつけられています。諸書のうち、『雑筆集』(高山寺方便智院旧蔵)、『平家物語』(大館高門旧蔵古写本)などは、教忠の所蔵本として掲げられています。また、私の研究と深く関わるものに「旧記故実条々」という書名で掲げられているものがあります。そこには「外題に云く、経房卿、吉田と号す。人々に問答するの記。奥書に云く、右一冊は予所持の記なり。然りといえども、料紙破損、字形所々不分明。愚の推量に任せ、脇に付けおわんぬ。眼力の及ばざる字、似せてもって書写せしむ。かつまた早覧のために、目録の端を取る。もっとも秘本なり。寛永十八年夏亜槐藤。朱書の分、愚勘なり。(勧修寺経広卿なり)。蔵本。この本一冊を按ずるに、その体裁を見るに、吉部秘訓抄に似たり。疑うらくは、同抄欠巻の部か」との注記が施されています。承安五年(安元元年)六月十六日条として引かれるこの記事を『吉記』の逸文として紹介されたのが、竹居明男・吉澤陽の両氏でした(「『吉記』逸文承安五年(安元元年)六月十六日条をめぐって」『文化史学』57号、2001年)。諸本の関係については「藤原経房の『公事問答記』について」(『いずみ通信』29、2002年)で論じたのでくり返しません。『新訂吉記』では、この記事が二月の記事に続いて、年月を欠く形で記されているので、承安五年二月十六日条として採用しました(次の記事は承安五年六月二十八日条)。ただ、『百錬抄』が六月十六日条で同内容の記事を載せていることからすると、再考が必要かも知れません。
 今回、教忠の著作を一括で購入したので、これまで所蔵していたものとタブってしまいました。『京都市話』上下、(上のみの端本もあり)、『日野誌』『五条橋考』をご希望の方にお譲りしますので、ご一報下さい。
 ※『京都市話』上下は、すでにご希望者がありました。『京都市話』上のみの端本、『日野誌』、『五条橋考』はまだあります。(1/3)


宮内庁書陵部編『九条家本 法性寺殿御記』(八木書店、1989年6月、\41200)


 2004年10月購入。コロタイプ複製の巻子本です。活字本は『図書寮叢刊 九条家歴世記録』1(明治書院)にあり、この複製に付属する「解題 釈文」も戴いていましたが、これが論文集1冊分の値段で買えるのならと、ついつい買ってしまいました。書陵部本の複製は、戦後まもなくの『中右記』、1960年刊の『台記』を持っていますが、やっぱり表紙や紙の感じなどは作製された時代によって違いますね。この手のものは、洋装本と違って置き場所が大変ですが、専用の置き場を造るわけにもいかず、防虫香を入れて、戸棚に突っ込んであります。


梅津次郎監修『角川絵巻物総覧』(角川書店、1995年4月)


 2004年10月購入。長年探していた本を遂に見付け、私以上にこの本を望んでいた妻が購入しました。定価は2万円余りの本ですが・・・、まあ仕方がないでしょう。角川文化振興財団の本は絶対に重版しそうにないので、『平安時代史事典』なんか、いまや20万円の値段が付いていますからねえ。それに比べればとても安いと納得したりして。やっぱり少部数しかつくっていない良い本は早めに買っておかないといけませんね。とにかく絵巻物の基礎的なデータが一覧できる非常に便利な本です。最近、ちょこちょこと絵巻物のことを調べる必要もあって、役に立っています。反町茂雄編『チェスター ビーティー ライブラリー蔵 日本絵入本及絵本目録』(弘文荘、1979年、非売品)も購入しました。


中条町史編さん委員会編『中条町史』通史編(新潟県中条町、2004年3月)


 2004年10月受贈。越後国奥山荘の故地中条町の自治体史です。奥山荘関連史料を編年で収録した資料編1の刊行が1982年でしたから、それから22年かけて通史を完成させたと言うことになります。学部生の頃、三浦和田氏を素材にしてレポートを書くために、国会図書館で、資料編の「中条町(考古・中世)関係文献目録」や「「小字地名について」をコピーしたことを思い出します。たしか、その後、卒業論文を書く頃には、資料編を手に入れていたのではなかったかなあ。引用するのには『新潟県史』資料編を使い、関係史料を編年で見たい時には『中条町史』を使っていました。県史には収録されていない系図が収められているのも、この本のメリットでした。
 通史編中世部分の執筆は、田村裕・矢田俊文・青山宏夫の各氏で、現在では順当な顔ぶれといえますが、資料編刊行時からするとやはり様変わりです。でもその反面、22年間、町長が代わっていないというのも驚きではありますが・・・。本文1000頁余りで、中世部分は200頁余、すでに『新潟県史』の通史編があるとはいえ、あれだけの史料に恵まれていて、少しもったいないような気もします。


鈴木敬三『初期絵巻物の風俗史的研究』(吉川弘文館、1960年4月)


 2004年11月購入。久しぶりの掘り出し物でした。古書店の相場は1冊で10〜15万円という高額な本ですが、その10分の1くらいの値段で購入できました。ちょっとびっくり。この本は手に入らないだろうと、ほんの数ヶ月前に図書館で借りて、コピーをとったばかりでしたが、飛びついてしまいました。装束や武器武具を中心に、絵巻物に描かれた場面を解説してくれています。カラー口絵20枚、白黒口絵図版30頁をはじめ、第586図まで図版があり、巻末には索引もあって有用です。今から45年も前に定価が\4500ですから、高価な本ですよね。同じ頃に刊行された他の「日本史学研究叢書」の本は\1000〜1400ですからねえ。でも、それだけの価値はある本です。辞典項目などを除くと、鈴木氏のほぼ唯一のまとまった著作ですし、この分野の基本中の基本文献と言えるでしょう。解説論文や国学院高校の紀要論文など、鈴木氏の著作を是非まとめてもらいたいものです。


『古式に見る皇位継承「儀式」宝典』(別冊歴史読本、新人物往来社、1990年6月)


 2004年11月購入。今年度の宮内庁書陵部の展示は「儀式関係史料」というテーマでした。西宮記・北山抄・江次第の古写本をはじめとする儀式書が並んでいましたが、その中で目をひいたのが『公事録』という史料でした。明治初期に宮廷行事の衰微を憂えた岩倉具視の命を契機にはじめられた「維新以前諸儀式取調」の成果で、詳細な記録と共に附図が付されています。展示箇所は四方拝と小朝拝でした。案内してくれた方とは、参列する臣下の並び方や装束の違いなどの話に花が咲きました。その『公事録』の附図の一部(大嘗会・新嘗会)が収められているというのがこの本です。天皇代替わりの頃に出た多くの関連本の一つですが、『礼儀類典』『御即位式図譜』『大極殿朝賀図』『紫宸殿御即位式図』などがカラー図版で収録されていて、儀式の様子をビジュアルで知るにはいい本です。願わくば、皇位継承儀礼以外も見たかった。書名に惹かれて『図録 天皇の儀礼』(別冊歴史読本、2001年12月)というのも買いましたが、こちらは専ら現代の皇室の写真を集めたもので、失敗でした。


神奈川県立歴史博物館編『湘南の古刹 神武寺の遺宝』(神奈川県立歴史博物館、2004年10月、\1200)


 2004年11月購入。ロッククライミングの練習場として知られる鷹取山から神武寺にぬけるハイキングコースは、三浦半島所在の小学校にとっては春の遠足の定番コースでした。そのころは神武寺が『吾妻鏡』にも「神嵩」として登場するお寺だとは知るよしもなし。逗子市にある神武寺は三浦半島では数少ない天台宗寺院で、もともとは山岳信仰の道場であったようです。寺伝は神亀元年(724)行基の開創と伝えています。その神武寺を本格的に取り上げた初めての展示が行われました。地元にとっては画期的な展示でありましたが、数度の火災によって中世の遺品はあまり伝来しておらず、展示品は圧倒的に近世のものでした(『神奈川県史』などに収められている中世文書も行方不明と言う話を聞いています)。その中で興味を惹いたのは「楽人中原光氏と弥勒窟」というコーナーでした。境内のやぐらにある正応3年(1290)の弥勒菩薩座像(パネル展示のみ)の光背には「大唐高麗舞師本朝神楽博士従五位上行左近将監中原朝臣光氏 行年七十三」という銘があります。その光氏は有名な楽人中原有安の孫で、父景安とともに関東に下向し、鶴岡八幡宮の楽人となった人物だというのです。しかも光氏が鶴岡に寄進した文永3年(1266)の弁財天座像も現存しており、展示されていました。


池浩三『源氏物語―その住まいの世界―』(中央公論美術出版、1989年9月、\8000)
飯淵康一『平安時代貴族住宅の研究』(中央公論美術出版、2004年2月、\35000)


 2004年11月・12月購入。建築史関係の本、新旧2冊をご紹介。前者は『源氏物語』に描かれた六条院の想定復原や、住まいに対する美的感覚の考察などを中心としていますが、その前提作業として、内裏の清涼殿・後宮、藤原道長の東三条殿・土御門殿に関する論考や、寝殿造の邸宅の構成要素である寝殿・対屋・塗籠、さらには障壁具、室礼についても論じられています。
 後者は、現在、数少ない寝殿造研究の最前線を行く研究者の学位論文を中心にまとめなおされた著書です。所収論文のうち4本は『日本史学年次別論文集』に採録されていますが、それらを含めて、ほとんどの論文の初出が建築学関係の雑誌ですので、工学系の学部がない大学では入手しにくいものばかりです。1冊にまとまったのは嬉しいのですが、B5版600頁超の本とはいえ、高額すぎますよね。出版社や書店のホームページでも、詳しい章立てまでは紹介されていないので、せっかくですから記しておきましょう。
 第1章 平安宮内裏の空間的秩序(1)
  第1節 平安宮の儀式空間  第2節 宮城門、内裏門の性格と平安宮内裏の空間秩序
 第2章 貴族住宅の空間的秩序
  第1節 平安時代貴族住宅の空間秩序  第2節 平安時代貴族住宅の変遷  第3節 元服会場としての寝殿及び対
 第3章 里内裏時に於ける貴族住宅の空間的秩序
  第1節 内裏様式里内裏住宅の空間秩序  第2節 平安時代里内裏住宅の空間的秩序(1)―紫宸殿、清涼殿の割り当てと寝殿に於ける儀式―
  第3節 平安時代里内裏住宅の空間的秩序(2)―陣口、陣中及び門の用法―  第4節 門の用法の史的検討
 第4章 平安時代貴族住宅に於ける「礼」及び「晴」
  第1節 平安時代貴族住宅に於ける「礼」及び「晴」  第2節 大饗・臨時客と「礼」観念
  第3節 平安時代貴族住宅に於ける「礼」向き決定の諸要因
 第5章 中世住宅への変遷過程
  第1節 貴族住宅に於ける「出居」、「公卿座」  第2節 行幸時に於ける貴族住宅の出入口―院御所、女院御所への場合―
  第3節 院の御幸時に於ける貴族住宅の出入口  第4節 南北朝時代貴族住宅の出口及び乗車位置―洞院公賢の用法―
  第5節 貴族住宅に於ける主人の出口―変遷過程及びその要因―
 第6章 平安宮内裏の空間的秩序(2)
  第1節 平安宮内裏、承明門・日華門の儀式時に於ける性格  第2節 紫宸殿上に於ける天皇及び公卿らの沓の着脱―儀式時の検討―
  附説 近世内裏の空間的秩序
 第7章 平安京に於ける空間認識
  第1節 太白神による方忌み―平安京及び貴族住宅から見た―
  第2節 大嘗会御禊点地に於ける方角認識の基点―東西間距離から見た『兵範記』仁安元年十月十五日条の解釈―
 附論
  第1節 平安時代に於ける方違行幸―目的地として用いられた住宅―
  第2節 藤原師実の住宅と儀式会場―藤氏長者・摂関家の儀式会場の変遷過程について―
  第3節 平安時代に於ける儀式と雪―様々な対応について―


櫛田良洪『真言密教成立過程の研究』(山喜房仏書林、1964年8月)
  同   『続真言密教成立過程の研究』(山喜房仏書林、1979年3月)


 2004年12月購入。真言仏教関係の基本文献の一つです。とくに、関東地方での東密の展開や、新義真言宗についても詳しく述べられています。正編はたびたび増刷されていますが、品切れになると古書店でも高値がつけられています。正編は先頃復刊されたので新刊本としても購入可能ですが、今でも高額をつけている古書店もあるので要注意です。


巡礼記研究会編『巡礼記研究』第1集(巡礼記研究会、2004年12月)


 2004年12月受贈。12月に慶應義塾大学で巡礼記研究会の第1回研究集会というのが開かれました。その時、参加者に配られた雑誌です。当日、都合が悪く参加できなかったのですが、ご厚意で分けていただくことが出来ました。関係者の方々にお礼申し上げます。所収論文は次の通りです。
 岩松研吉郎「巡礼記研究の視界」
 内田澪子「大宮家蔵『御巡礼記』解題・翻刻」
 大橋直義「天理図書館蔵『大和寺集記』翻刻と考察」
 恋田知子「女性の巡礼と縁起・霊験説話」
 藤巻和宏「南都系長谷寺縁起説の展開」
 安藤美穂・寺西香「『建久御巡礼記』研究文献目録(1)」
熊野参詣道が世界遺産に登録されたことがきっかけというわけでもないでしょうが、『国文学 解釈と鑑賞』2005年5月号(至文堂)も「聖地と巡礼」を特集しており、最近注目されている分野です。古記録にも熊野や高野山への参詣記がいくつもありますから、私も関心をもっています。


辛島美絵『仮名文書の国語学的研究』(清文堂、2003年10月、\12000)


 2004年12月購入。先頃、吉川弘文館から刊行された三保忠夫『古文書の国語学的研究』は、「仰」「奉」「請」「称」など、古文書に頻出する漢字を分析したものでしたが、こちらは「る・らる」の用法やら、形容詞・形容動詞やら、さらには活用と、ちょっと近づき難い内容となっています。でも仮名文書って、漢文の文書や古記録の読み方を考える上でも大切なんですよね。たとえば、「而」。逆接は「しかるに」、順接は「しこうして」と読みわける人もいれば、逆接・順接ともに「しかるに」と読む人もいます。でも仮名文書を見ると、逆接の場合は「しかるを」って読んでいることが多いんですよ。そこで私は順接の時は「しかるに」、逆接は「しかるを」と読み分けることにしています。なお、国語学の峰岸明氏によれば、記録語としては順接でも「しこうして」とは読まないらしいですよ。