最近の書棚から 2004年1月〜6月



藤本孝一編『日本の美術454 『明月記』―巻子本の姿―』(至文堂、2004年3月、\1649)


 2004年2月購入。取り上げようか、どうしようか悩みましたが、取り上げることにしました。先にこの『日本の美術』のシリーズで「古写本の姿」を出された文化庁の藤本氏が第2弾として、『明月記』の本を出されました。これも冷泉家時雨亭文庫の調査の経験と冷泉家との太いパイプの賜物でしょうか。『明月記』全巻の巻頭部分の写真が載っているのは、各巻の特徴が一目でわかるので、非常にありがたい。また、焼失した嘉禄2年7月記一巻分の写真が載っているというのも有益です。カラー図版はちょっと色が濃い目かなぁ。以上のように、図版はとてもいいのですが、解説部分には、賛同できないところが多々あります。特に定家の家人が定家そっくりの筆跡で『明月記』を書写したという話。どうしてそういう史料解釈ができるのか、私には理解できません。そのあたりは、いずれ機会を見て。そういえば、『古文書研究』の湯山賢一氏(文化庁のとても偉い方)の文章も、藤本氏に対して厳しかったなあ。
 「冷泉家時雨亭叢書」の『明月記』5が刊行されて、これで『明月記』が完結しました。『明月記研究』(続群書類従完成会)も8号が出ています。みなさん、『明月記』が好きですよねえ。私はどうも好きになれない。


渡邊敏夫『日本・朝鮮・中国 日食月食宝典』(雄山閣、1994年10月、\20000)


 2004年3月購入。古天文学に関する本は、これまでも斉藤国治氏のものをいくつかご紹介したかと思います。でも、斉藤氏の本には日食や月食のデータは出ていなかったんです。なぜなら、それについてはこの渡邊氏の本があったから、それに譲るということでした。さて、その渡邊氏の本を買いそびれていたので、購入しました。『吾妻鏡』を読んでいると日食や月食の話が多いので、使えるかなあと思って。しかしページをめくったとたん、数式の嵐。あとは数字が並んだ表と、食が観測できた食帯の位置を記した地図のみ。それが、日食篇・月食篇とあるわけです。『吾妻鏡』や『明月記』の記事をあげて説明してくれる斉藤氏のような本を期待していた私が間違いでした。この本を次に開くのは何年後になるだろう。


鶴岡八幡宮社務所編『鶴岡八幡宮古文書』(鶴岡八幡宮社務所、1928年)


 2004年3月購入。最近古書店に安価で出回っている『鮮明 鶴岡八幡宮古文書集』(鶴岡叢書第三輯)ではありません。大判一枚物(39*30cm)の複製写真115点が帙に入った立派な物です。状態もかなりいい。web-catで検索すると所蔵している大学図書館は8館しかないという代物で、某古書店では15万円の値段を付けています。それが、な、な、なんと5千円でした。これまでの大掘り出し物の1、2に入る買い物です。『鮮明−』の相場がだいたい5千円だから、それと勘違いして値付けをしてしまったのかもしれませんね。古書即売展でどのくらいの倍率だったかはわかりませんが、くじ運の悪い私が当たったのだから、気が付いた人は殆どいなかったのかも。また鶴岡八幡宮の文書を使った授業をする機会があれば、これを教材にしよう。


奈良国立博物館編『龍門文庫―知られざる奈良の至宝―』(奈良国立博物館、2002年11月)


 2004年4月購入。奈良博の展示図録です。気がついた時には、もう会期は終わっていました。そこで、奈良博の図録を扱っている外部団体に問い合わせてみましたが、図録も既に品切れになっており、悔しい思いをしました。それから機会あるごとに探して、漸く手に入れた図録です。100ページあまりの図録ですが、なかなか見応えがあります。でもちょっと玄人好みというやつでしょうか。
 龍門文庫は奈良県吉野出身の事業家阪本猷氏のコレクションを収めた文庫で、収集には川瀬一馬氏がかかわっており、善本が多いことで知られています。その蔵書は『龍門文庫善本書目』や『龍門文庫善本叢刊』で知ることができますが、閲覧は年に数回、日にちが決まっているという、とても敷居が高い印象のあるところです。もちろん私は伺ったことがありません。ただ、最近は、文庫のホームページが開設されていたり、一部書目の画像が奈良女子大学のホームページで閲覧できるなど、便利になってきました。私がこの文庫に関心をもっているのは、田中教忠の旧蔵書の一部が入っているからです。おそらく歴博以外では、もっとも多くの点数があると思います。いつか各所に分蔵されているものを集めて、「田中教忠旧蔵書の全貌」のような展示を歴博あたりでやればいいのになあ。でも集客力はありませんが・・・


黒田日出男『黒山に龍はいた―開発史から絵画史料論まで―』(黒田日出男先生退官記念誌刊行会、2004年3月)


 2004年4月購入。黒田日出男氏(現、立正大学)の「東京大学史料編纂所退官記念」と銘打たれた小冊子です。これまでの著書未収録の短い文章(図録や会報、新聞などに掲載された文章が中心)を集め、年譜・著作目録を加えています。タイトルの「黒山」「龍」は、副題に示された黒田氏の研究テーマのキーワードですが、なかなかいいタイトルを付けたなあと感心します。年譜にはその時々の黒田氏の記憶や思い出も書き込まれていて、読ませる年譜になっています。でも圧巻は、著作目録の仕事量。これにはいろいろな声が聞こえてきそうですが、やはり立派。もちろんそれを支えた(「支えることになってしまった」かもしれない)多くの人々も立派。


『国学院大学所蔵の牛玉宝印』(国学院大学神道資料館、2004年3月)


 2004年5月受贈。牛玉宝印に関する書籍については、先に中村直勝『起請の心』を取り上げ、その中で『牛玉宝印―祈りと誓いの呪符―』(町田市立博物館図録78集、1991年11月、町田市立博物館)も紹介しました。その「指導」者である千々和到氏を中心に、国学院大学COEプログラム「神道と日本文化の国学的研究発信の拠点形成」の事業の一環として作成された図録です。国学院大学は「久我家文書」「藤波家文書」「屋代本平家物語」など、多くの文書・典籍の所蔵でも知られていますが、牛玉宝印のコレクションも有していたとは知りませんでした。収められているのは『諸社寺牛玉宝印集』(53点)と神道資料館所蔵の牛玉宝印(30点)および同所蔵「志摩国鳥羽藩御側坊主等起請文」47通です。資料館所蔵のものの中には、景山春樹氏の寄贈品や、中村直勝氏の旧蔵品と伝えられる品も含まれているそうです。中村氏のコレクションのほとんどが芹沢けい介美術館にあるとは知らなかったなあ。


平野健次ほか監修『日本音楽大事典』(平凡社、1989年3月)


 2004年5月購入。品切れ本ですが、ようやく見つかりました。このところ「音楽の家」に関するものをいくつか書いたこともあって、中世の音楽史にも僅かながら関心をもっています。日本音楽に関する辞典には『雅楽事典』(音楽之友社)『仏教音楽辞典』(法蔵館)などもありますが、一番総体的な事典がこれでしょう。平凡社から出ている『音楽大事典』全6巻から日本音楽関係の項目を抜き出し、新稿を加えたもの。そう、吉川弘文館から最近いくつも出ている辞典類とちょっと似ていますね。ただ違うのは、「事項」「人名」「曲名」に分かれていて、「事項」部分は五十音順ではなく、内容ごとに叙述されている「事典」になっていることです。雅楽関係の基本文献は、とりあえず、この事典と、芸能史研究会編『日本の伝統芸能1 神楽』『同2 雅楽』(平凡社)かなあ。また、この事典で、よく使われるのは巻末の「日本雅楽相承系譜(楽家篇)」です。実はこの本は趣味と実益を兼ねた本でして、むしろ「趣味の世界」の項目を引く方が楽しかったりして。いかんせん私の内なるリズムは「三味線音楽」なもんですから。


室町時代語辞典編修委員会編『時代別国語大辞典』室町時代編一〜五(三省堂、1985年3月〜2001年1月、定価各\35000〜45000)


 2004年6月購入。高嶺の花だった辞典をついに買ってしまいました。総額は・・・、ああ恐ろしい。これに比べれば小学館の『日本国語大辞典(第2版)』は安いものです。約1500ページで¥15000だから、1ページあたりなんと、10円ですよ。発行部数がかなり違うんでしょうけど、1冊4万5千円はないよね。でも、1ページあたりにすると45円かあ。そう考えると、逆に、「知」の値段はこんなにも安いのか、と思ってしまいます。『日国』、『角川古語大辞典』とこの辞典、それに『大漢和辞典』があれば、まあ今のところ、言葉関係の調べものには十分でしょう(専門的語彙を除く)。それでも出てこない言葉は自分で考えるしかない。
 この辞典は企画から60年の歳月をかけて完結したそうです。気が遠くなりますねえ。国語学者が比較的長生きなのは、そんなスパンで仕事をするからでしょうね。気が遠くなる仕事といえば、『大日本史料』がありますが、こちらは実質的に完結を目指していないからなあ。この本を手にして、何か自身のライフワークを持ちたいという気がふつふつと沸いてきました。


『播磨国鵤荘 現況調査報告総集編』(太子町教育委員会、2004年3月)


 2004年6月受贈。昭和61年から始められた調査の報告書最終版が刊行されました。これまでの地域ごとの報告書をふまえて、調査の総括に当たる第1部「調査の成果」6編、鵤荘全体にかかわるような研究を収めた第2部「考察」14編、付録「鵤荘関係文献目録」「調査の記録」がまとめられています。付図も「鵤荘を中心とする条坊プラン復原図」「揖保川下流域の主要用水」「法隆寺領播磨国鵤荘水路図」と、総集編にふさわしい内容です。初めて鵤荘に行ったのは、もう10年以上前の大学院生時代でした。なつかしいなあ。畑?の中にあったはずの傍示石が、次に行った時にはバイパス道路の中央分離帯の中になっていて驚いたことも思い出します。こうした報告書はなかなか手に入れづらいですから、お早めに。10年以上前に刊行された5・6もまだ在庫はありそうですよ。なお、版型がこれまでのB5版から、時代の流れを反映してA4版になりました。書棚に入れにくいので、ちょっと難儀です。