最近の書棚から  2003年1月〜6月


市木武雄編『五山文学用語辞典』(続群書類従完成会、2002年6月、¥12000)


 2003年1月購入。いままで禅宗関係の史料は何となく避けてきたような気がします。扱ったのは建長寺関係の文書くらい(「『神田孝平氏旧蔵文書』及び『相模文書』について」『古文書研究』33)。仏教関係全般にそういえるのですが、とりわけ禅宗は近寄りがたい。禅僧の日記(空華、蔭凉軒、碧山など)は、どれもほとんど読んだことがない。でも、いざというときには何とかなるようにと、『禅語辞典』などの本は多少買っているのです。前にも語録の漢文に関する本はご紹介しました。本当は、『禅学大辞典』や『梅花無尽蔵注釈』などがあればいいのでしょうが、「何もそこまで・・・」という気持ちもあって、ついつい小物ばかり。今回ご紹介するのもそんな一冊です。『梅花無尽蔵注釈』の著者が経験に基づき、従来の漢和辞典等に収録されていない五山文学の用字・用語を解説しています。「語彙」が216頁、「人名」が14頁、「書名」が5頁、「寺名」が2頁、付録が14頁という構成です。禅宗用語は如何せん読みが難しいので、漢字索引があったらいいのにと思ってしまいます。その点はちょっと使いづらそう。


小松茂美『手紙―人と書―』I(二玄社、1964年2月)


 2003年1月購入。平凡社の『書の日本史』、吉川弘文館の『遺墨選集』に先駆ける本と言ったらいいでしょうか。この第1冊には奈良時代の市原王、鑑真から、桃山時代の淀君まで、95人の人物の書が収められています。ただ、本文中にも、巻末の図版目録にも所蔵者が記されていないものがあり、まさか著者所蔵?、でも凡例にも何も書いていないし、・・・。問題がある文書を1点発見。梶原景時の書としてあげられているものです。神護寺文書の年未詳10月18日付け書状で、『大日本史料』でも景時の卒伝に綴じ込み図版として採用され、『鎌倉遺文』でも梶原景時書状(1101号)とされています。今を去る十数年前、大学院の修士1年の時だったか、『鎌倉遺文』を順に読んでいた安田ゼミで当たったのがこの文書の前後数通でした。そのとき、「梶原景時の文書で、何で差し出しが「刑部丞」なんだ?」という疑問から、この文書が景時の文書ではないということを論証した報告をしたのでした。あのレジュメはどこにいったかなあ。報告の後で、再版本の大日本史料を見ていたとき、正誤表にこの文書を削除する旨が記されていたのを見付けて、「なんだわかっていたことなんだ」とがっかりすると同時に、ちょっとは自信を持ったのでした。この文書を見かけて、そんなことを思い出してしまいました。


高橋隆三先生喜寿記念論集刊行会編『古記録の研究』(続群書類従完成会、1970年6月)


 2003年2月購入。ようやく手に入れました。3〜4万円は当たり前という、高嶺の花だったんです。大部分の論文はコピーでもっていたのですが、相場の半値のものを見付けてしまったので、何とか手が出ました。限定450部で、普通は奥付にナンバリングがしてあるのですが、手に入れたこの本は、「献本用無番号」と記されていました。同時に買った本に、この論集の執筆者T氏への献本短冊が挟まった本がありましたから、おそらくその方の旧蔵書と考えていいでしょう。内容については、言うまでもなく、すばらしい論文ばかり。橋本義彦「部類記について」、土田直鎮「衰日管見」、米田雄介「日次記に非ざる「日記」について」、早川庄八「壬生本『西宮記』について」など、それぞれの著者の代表的論文といってもいいものがずらっと並んでいます。


永井義憲『日本仏教文学研究』第1集改訂版(豊島書房、1966年11月)・第2集(豊島書房、1967年4月)


 2003年2月購入。私にとっては『安居院唱道集』(角川書店)の編者というイメージが強い永井氏ですが、仏教文学を勉強する人にとっては、その道の先達として重要な人のようです。『日本仏教文学研究』と題される本が3冊刊行されていますが、3冊揃いだと古書店で12万円、第1集・第2集の2冊でも4万円くらいはするようです。金額の話になってしまってちょっとはしたなかったですが、ギェ〜ッという感じです。古典文庫刊の第1集(初版)はごろごろしていますが、新典社刊の第3集を見かけることはまずありません。妻も欲しがっていましたが、とても買えませんでした。ところが2月のある日、古書展で、何気なく棚をながめていたら、2冊束ねられた黒い表紙の本に見難い背文字、よく見ると「日本仏教文学研究」と入っているではありませんか。さぞや高額と思いながら紐を解いて、値段を見ると何と5千円。大学図書館の廃棄本ということで、こんな値段で出ていました。もちろん購入して、妻にはメールで、「いいもの買ったよ」と報告。帰宅後、「何だと思う?」と聞いたら、「永井義憲でしょ。」「ピンポン!!」。多少、夫の株が上がりました。その後、やはり探していた同氏『長谷寺験記(異本)』(古典文庫)も落掌しました。


米沢市上杉博物館編『国宝 上杉家文書 図説―古文書が語りはじめた―』(米沢市上杉博物館、2003年1月、\1500)


 2003年3月購入。開館以来、行きたいと思いつつ、行く機会がなかった米沢の上杉博物館にようやく行って来ました。噂には聞いていましたが、予想以上に立派な博物館でした。表装していない上杉家文書の特長を活かして、文書を和紙に印刷したものと、礼紙を重ね、封紙を懸けて「捻り封」を作ったり、同様に「折紙」を畳んだりする体験コーナーはとても楽しんでしまいました。「洛中洛外図」の各隻が「ご自由にお取り下さい」の栞になっていて、別売のビニールカバーに収めると屏風が出来上がるというのも、なかなかのものでした。コンピュータグラフィックスで画く「洛中洛外図」や、西村和彦・紺野美沙子主演の「上杉鷹山物語」など、お金をかけている感じでした。季節はずれとはいえ、特別展期間中なのだから、もう少し観客がいてもいいかなあ。鷹山シアターに客が二人では、コンパニオンのおねえさんもちょっと張り合いがないかも。
 さて、この本は特別展の図録というわけではなく、上杉家文書から上杉氏の歴史を解説しようという本で南北朝期から明治初頭の文書が紹介されています。それぞれ写真版、翻刻、読み下し、現代語訳、解説が付くという気の配りようで、B4版159頁オールカラー、箱入りという立派なもの。とても¥1500でできるわけがない。やっぱり上杉家文書ならではのものは、「文書のあれこれ」で、紙の大きさ、紙の種類、封式などの解説が施されています。4頁の及ぶ正誤表が挟み込まれているのも、考え方によっては良心的と言えるでしょう。とにかくいい本です。
 ただ大きすぎてリュックに入らず、雪に降られてちょっと本が傷んでしまったのが悔しかった。『国宝 上杉本 洛中洛外図屏風』(2001年9月、米沢市上杉博物館)というB4版31頁のカラー図録が\500というのもお買い得です。


白河市歴史民俗資料館編『中世結城家文書』(白河市歴史民俗博物館編、1996年11月、\1500)
白河市歴史民俗資料館編『広瀬典採訪書写文書』(白河市歴史民俗博物館編、1993年1月、\500)
福島県白河市編『白河市史』第5巻 資料編2古代・中世(福島県白河市、1991年3月、\6000)

 2003年3月購入。米沢の帰りに、白河に寄りました。これも前から行きたかった白河集古苑で結城家文書を見るためです。雪の中、ボランティアのおじさん・おばさんが暖かく迎えてくれました。お城の中にある集古苑の建物は、結城家文書の展示室と、阿部家文書等の展示室のふたつに分かれており、もちろん結城家文書はたっぷり時間をかけて見てきました。結城の展示室からはいつまでも出てこないのに、阿部家はものの5分ほど、おじさんに「もう見たんですか?」と言われてしまいました。
 以前に刊行された図録『白河結城文書』(1993年3月)は持っていたのですが、写真はやや不鮮明だし、翻刻等も字体の違うワープロ原稿を張り込んだような、お世辞にも「立派」とはいえないものでした。それに比べてもこちらの図録は「重要文化財指定記念」と銘打たれているだけあり、全点モノクロ図版ながら、見やすいですし、法量や紙質、県史・市史の文書番号まで入っていて、使いやすくなっています。巻末の謝辞に「安田元久(故) 安田壽子(故)」とあって、ちょっと感慨深くなってしまいました。
 また、『広瀬典採訪書写文書』は、白河藩主松平定信に仕えた儒学者が文化年間に写した仙台白河家の中世文書188点の写です。多くの文書は、文字の外郭部分のみを影写(透写)した形になっています。原本所在不明のものも49通あるようで、その点でも貴重な情報です。
 さて、最後に『白河市史』。これも前から欲しかった自治体史のひとつでした。白河結城氏の発給・受給文書1094点が収められています。
 雪の中、思わぬ売り上げに、おじさん・おばさんの顔はホクホクでした。


百瀬今朝雄・百瀬美津『勧学院の雀』(岩波書店、2002年12月、\3500)


 2003年3月購入。「故事古典初まなび」というサブタイトルが付いています。巻頭の「本書をお読み下さる方に」によれば、ご夫妻が創刊された俳誌に連載された、古典の名句・名文などに関する「メモ」「ノート」だということです。百瀬氏の「メモ」「ノート」と聞いただけで、飛びつきたくなってしまう(救いを求めたくなってしまう)業界人も多いのではないでしょうか。さすがに百瀬氏の書かれたものだけあって、その辺の古典歳時記とは違い、引かれている史料も『源氏物語』『枕草子』『今昔物語集』『太平記』などの文学作品は言うに及ばず、『御堂関白記』『蔭涼軒日録』『お湯殿の上の日記』などの記録類、古辞書、文書類、あるいは「万朝報」、夏目漱石、柳田国男といったところまで、予想通りの学識の広さです。趣味⇒学問、学問⇒趣味というのではなくて、趣味と学問との良いバランスの上に出来上がった本という感じです。


日立市郷土博物館編『金砂山の磯出と田楽』(日立市郷土博物館、2002年9月、\1500)


 2003年3月購入。72年に一度という金砂神社の磯出祭が行われました。電車の車内広告にも出ていましたし、開催日が近づくと、私の周りにも、何人も見に行くという人たちが出てくるではありませんか。まあ、一生に一度のことだし、見に行くかと思い立って行ってきました。一番交通の便の良い水木会場を選んだのが運の尽きか、朝6時に会場に着いたときには、席はすでに埋まっており、柵の外からの立ち見を余儀なくされてしまいました。グズリ始める連れを何とかなだめすかして、田楽を見学。やや距離はありましたが、それなりに楽しめました。前もって様子を調べて、何か手だてをうつべきだったと反省。何人かの知り合いにバッタリと出くわしましたが、これがみんな、「年度末で忙しくないの?」という勤務先の人ばかり。まあ、人のことは言えませんが。
 さて、その会場で購入した昨秋の博物館図録です。後藤淑「金砂田楽関連仮面について」、橋本裕之「王の舞から四方固めへ」の2論考、近世の史料、前回昭和6年の写真・絵巻などが収録されています。昭和6年の写真でもかなりの群衆が集まっていたのは驚きでした。会場で売っていた田楽の絵はがきも充実したものでした。

和歌山中世荘園調査会編『中世再現 1240年の荘園景観―南部荘に生きた人々―』(和歌山中世荘園調査会、2003年3月)


 2003年4月受贈。南部荘報告書の第2弾です。2001年に刊行された『中世探訪 紀伊国南部荘と高田土居―検注を拒否した人々―』で一部紹介されていた検注帳を翻刻した史料編が圧巻です。この時期の南部荘地頭は三浦一族の佐原氏ですので、三浦一族関係史料の網羅を目指す今年度刊行の横須賀市史の史料編1にも早速活用させていただきました。

史学会編『本邦史学史論叢』全2冊(冨山房、1939年5月)


 2003年4月購入。史学会50周年を記念して作られた本で、序文は三上参次が書いていますから、かなり時代がかっています。病の黒板勝美や死去した和田英松から原稿を得られなかったとのことですが、辻善之助・坂本太郎・宮地直一・西岡虎之助・津田左右吉・相田二郎を始めそうそうたる顔ぶれが並んでいます。帝大系の研究者のみならず、国学院系の人や、牧健二のような法制史の人も名を連ねているのもいいですね。取り上げられている文献は古事記・古語拾遺から始まって日本開化小史まで、史書・記録類・文学作品と多様です。人物は新井白石・本居宣長・平田篤胤・伴信友といった国学者・儒学者が取り上げられています。西洋史や東洋史との相互関連や学問の他国への影響など、もちろん時代を反映している部分もありますが、おもしろ視点が随所に見られます。今このような内容の本を作ってもおもしろいのではないでしょうか。裏の見返し上に岩波書店のシールがついていました。岩波も昔は古書店だったんだなあということを再認識した一片でした。


京都大学総合博物館『日記が開く歴史の扉』(京都大学総合博物館、2003年3月、\1600)


 2003年5月購入。同館で開催された展示の図録です。この春は、京博の空海、奈良博の女性と仏教の展示と、関西方面では展覧会が盛りだくさんでした。とりわけ京大の展示は日記がこれだけ出品されるのですから、見に行かねばなるまいと、出かけました。同館所蔵(厳密にいうと、まだ国有で、同館保管ということになる。つまり同館は管理しているだけで、国民共有の財産というわけ。…ちょっと感情的なってしまった)の勧修寺家本と附属図書館の平松家本菊亭本を中心に、平松本と対になる陽明文庫からの出品を得て、ずらっと並べられました。一番の目玉は、新たに紹介された『兵範記』の断簡でしょう。仁安2年2月、嘉応元年7・8月、承安元年7月の巻で、かなりの分量があります。これによって式子内親王の生年(年齢から)がわかるなどの新発見や、建春門院関係のおもしろい記事もあります。図録にはきれいなカラー図版が掲載され、とくに新出『兵範記』は全紙収められています。翻刻も付されていますから、史料集としての利用価値も大です。


『研究発表と座談会 後白河院政記の仏師と仏像』(仏教美術研究上野記念財団助成研究会報告書第21冊、1991年7月)
『研究発表と座談会 院政期の作善と美術』(仏教美術研究上野記念財団助成研究会報告書第28冊、2001年3月)
『研究発表と座談会 一遍聖絵の諸相』(仏教美術研究上野記念財団助成研究会報告書第30冊、2003年3月)


 2003年5月購入。京博のミュージアムショップで見付けました。昭和48年以来、京博で仏教美術関連の展示があると開かれている研究会の報告書だそうです。それぞれ巻頭には7〜10ページの白黒図版も収められています。報告要旨とともに掲載されている各種の表がなかなか便利そうで、たとえば、『後白河院政記の仏師と仏像』には、運慶・快慶・院尊・明円らの仏師の年譜が載っていたり、『院政期の作善と美術』には、白河・鳥羽・後白河院の造寺・造仏の年譜が添付されています。研究会には日本史の研究者も出席していて、『院政期…』には上川通夫氏、『一遍聖絵…』には藤原良章氏が報告者になっています。

稲村栄一『訓注明月記』全8冊(松江今井書店、2002年12月、\95000)


 2003年5月購入。結構悩みましたが、やっぱり買ってしまいました。品切れになったら、とんでもない古書値がついて、二度と買えないだろうなあ、と思うと、ここは少し無理してでも買うしかない。この本が出る頃、新聞社の松江支局から突然電話がかかってきました。今度、地元の先生だった人がこういう本を出すらしいのだけれど、ほかにあるのか、意義はあるのかというような問い合わせでした。ものを見ていない状態で、意義を聞かれても答えにくいのですが、訓読したものや、索引はすでに刊行されていることを答えたような記憶があります。その記者さん、このホームページで私のことを知ったというのですが、なぜ職場に電話が・・・。
 さて、ひとことで言って、力作です。ワープロ打ちした読み下しの版面の上部には、手書きでびっしりと語釈やら注が書き込まれています。「ええ、これが不詳かあ」と思ってしまうところはいくつかありますが、こちらの知らないことも多くて参考になります。特に便利なのは、人名索引に当てられた第7巻・第8巻です。明月記は人名表記がわかりにくく、なかなか人物が特定できないので、本文記事を長年読み込んだ編者の経験に裏打ちされた人物比定は参照する価値大です。


宮内庁書陵部編『図書寮叢刊 伏見宮家九条家旧蔵諸寺縁起集』(明治書院、1970年3月)


 2003年6月購入。札幌の古本屋さんで大日本仏教全書の寺誌叢書や図書寮叢刊が安く出ていたので購入しました。もちろん札幌まで出かけていったわけではなく、インターネット上で。ちなみに購入した図書寮叢刊は、これと政基です。安かったのは蔵書印有りで、しかも書き込みがあるからという理由。本を開けてみると、たしかに内表紙の真ん中に大きな蔵書印。「何て書いてあるんだ」と目を凝らすと、数年前になくなったT氏の名がありました。書き込みがあったのは、九条家本の「諸山縁起」と伏見宮本の「温泉山住僧薬能記」で、各縁起に番号が打たれていたり、他の縁起に引用されている旨の書き込みが二、三ありました。説話文学研究の先達の旧蔵本に妻は喜んでいました。
 図書寮叢刊は重版はしないということなので、品切れになると入手は難しい。そうなると、高くても買っちゃうんだな。でも、なんであんなに高いんだろう。組版はたぶん公費なのに。


藤木正直・須磨千穎『賀茂神主補任史』(財団法人賀茂県主同族会、1991年10月、\6500)


 2003年6月購入。校倉書房から出た大山喬平氏の本の中に、この本のことが記されていて初めて存在を知りました。Web-catで検索したところ、所蔵している図書館も少ないようです。内容ですが、前半は、創建から現在までの賀茂神主の氏名、職名、補任・辞任年月日、各人の略歴等が年表風に記され、後半はそれが図表化された形で記されています。そして解説として、須磨氏による「古代・中世の賀茂別雷神社と賀茂県主」という論考が収録されています。

藤田勝也『日本古代中世住宅史論』(中央公論美術出版、2002年12月、\10000)


 2003年6月購入。珍しく公刊された寝殿造関係の建築史の本です。北対・雑舎などの北側の空間や、小寝殿など私的空間、公卿議定の場、内侍所、透渡殿、弘御所などが考察の対象になっています。私たちにとっては歓迎すべき1冊です。この本の注を見ていて感じたことですが、建築史の本はあまりに私家版が多すぎる。しかも国会図書館やWeb-catで検索しても、どこにもない。日本に数人しか研究者がいないから、配れば済んでしまうのかもしれませんが、他の分野の人間も見たいのですよ。もとの論文見ようと思っても、建築学会○○支部の講演会の梗概集だったりして、工学系の学部のある大学でないとなかなか手に入らなかったりするんです。だから、なんか変だなあと思いながらも、太田静六氏の『寝殿造の研究』(吉川弘文館)に頼らざるを得ないところがあります。そのなかで、この本が刊行されたのは、とにかくありがたい。