「大吉文庫」(だいきちぶんこ)の由来


 このホームページのタイトルがなぜ「大吉文庫」なのかと尋ねられることが少なくありません。大吉・小吉の大吉か、あるいは大吉の「吉」は『吉記』の吉かという説まで出されているようです。そもそも「だいきち」か「おおよし」という声まで聞こえてきます。
 そこで、「大吉文庫」の名前の由来を記しておくことにしました。


 横須賀市の汐入には、大正時代末から戦前の商家に多い「出し桁造り」と呼ばれる工法で造られた建物が、何軒か残っています。そのほとんどの建築を手がけたのが高橋吉蔵でした。
 芦名(現、横須賀市芦名)の大工、吉兵衛の長男として生まれ育った吉蔵は、明治29年(1896)、20歳で独立し、横須賀鎮守府にほど近い汐入で大工(だいく)業をはじめました。その際、「大工の吉蔵」であることから、屋号を「大吉」と称しました。これが「大吉」の始まりです。以来、「大吉」は吉蔵・喜知蔵・吉之輔と三代、100年以上にわたって続いています。
 4代目に当たるのがこの私ということになりますが、ご承知の通り家業を継ぐことはありませんでした。父の代で幕を閉じる「大吉」の名を何らかの形で残したいということもあって、ホームページの名に「大吉」を冠することにしました。内容的には古記録(日記)・典籍などの史料や書籍の話題が中心となることから、「大吉文庫」と名付けた次第です。


  ※写真(右)は、大正11年(1922)に出し桁造りで建てられた高橋家(大吉)。
    (撮影は昭和30年代)
   写真(下)は現在(2009年8月)の高橋家(大吉)。外装は修繕されているが、
    建物の構造自体は建築当初のままである。


なお、『新横須賀市史 別編 文化遺産』(2009年6月)の「第二編近代建築 第二章各説 第一節市街地の建築 二町並みと商家」P.278〜279には高橋吉蔵が建てた2軒の商家の現況記録や吉蔵の伝が記されている。